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![]() 隔靴掻痒とはこのこと。 ともかく昨日プラン見積もりをメール添付で送った。 ![]() 散歩に行く公園の街灯。 器具の中に落ち葉がイッパイ。 これではメンテナンスに手間がかかります。 形を考える時、その辺りの事も考えないでは、 デザインしたとは呼べないのでは? ![]() S邸では省エネの視点を、出来るだけ自然を利用して実現しようとした。 その一つは土に熱を蓄え、そのエネルギーで快適な環境を造るを実行しました。 ![]() S邸では縁側の外に風通しにもよく、光もコントロールできる、 無双という工法をランマに取り入れた。 板を互いに配置する単純な工法だが、 風や光のコントロールが手軽に出来る優れた工法です。 ![]() 戦後の住宅からは縁側空間が消えてしまった。 この空間、日本の高温多湿な風土が生み出した、優れた場所であったのに、 これを不合理だといって、なくしてしまった。 廊下であり、洗濯を干したり、ご近所とのコミニケーションの場であったりと、 室内でも室外でもないこの縁側、 さまざまに活用され、文化的にも日本文化の根幹に通じる、 優れた空間であったのに。 S邸ではこの縁側文化を新しく解釈して復活させました。 リビングと庭に続くこの場所、床はタイルを貼り、壁や天井は無垢板にペイントをし、 非日常のリゾート気分での憩いを想定し設計しました。 これからの季節、日が少し落ちたら、ここに椅子を持ち出し、 庭を通る風にボンヤリとあたり、時間を過ごすのも気持ちいい。 いずれにしても、クライアントが工夫してが使われと思うが、 家族に安らぎと幸せな時間が生まれるお手伝いができたら、 設計者としては一番の喜びであるし、 そのためできる限りの想像力をめぐらした。 ![]() 車輪をモチーフにした、動きを表現した窓、 皮膚科の先生の自宅、大垣で建てました。 S邸は漆工芸家小坂先生、ラタン工事の河村慶子さんだけではなく瓦職人、 大工さんなど忘れられない、大勢の職人さん達の力のおかげです。 みなさん仕事にプライドを持っている方ばかりで、 ”金ではないよ”との心意気、本当に熱心に仕事をしていただいた。 その中でも左官工事における、狭土秀平さんの仕事には感謝している。 この現場の左官工事、実は別の職人の手によって出来ていたのです。 私も依頼者も出来上がりに不満があったので、 請負業者に別の職人を探すよう要望していたが、 なかなか適当な人が見つからないとの返事で、 たまたま私が知っていた、狭土秀平さんにお願いする事になった。 彼は左官職人としても、また詩人としても、 かなり有名でスケジュールの調整が難かしかったが、 高山から職人さんをつれて通っていただき、この工事を完成していただいた。 他人の仕事の後、下地調整から、土の熟成まで時間を掛け、 かなりやり難かっただろうが、ガンバッテいただいた。 これら優れた職人の仕事をとおして感じたのは、 仕事に向かう姿勢によって出来映えの善し悪しがでる という 真に当たり前の結果です。 仕事に誇りを持っている職人さんは、それ(仕事)が生き甲斐に通じ、 故に熱心だし仕事を楽しんでいる。 バブル以降、”モノ作りの国から”その素晴らしさが消えたかとおもったが、 まだまだ職人魂を持った人がいる事を感じられ安心もした。
玄関や床の間と共に、戦後の住宅は 【大黒柱】などの象徴的な空間装置も、
封建的なとの大合唱の中で捨てて、ヒタスラフラットな住宅を造ってきた。 それが本当に良い事だったのか、私は多少の疑問を持っています。 伝統的な住宅は家長の姿はあっても、その他の家族の居場所は想像する事は出来ませんでした。 ”皆が平等が”絶対的価値観の中で親と子、父親と母親、先生と生徒、男と女の関係も、 縦から横にフラットにする事が民主的とした価値観で住宅も造ってきた。 いい面も確かにあったが、物事に中心のない曖昧な関係は、 いきおい芯のない住宅を造り家族を育ててきた気がします。 その結果がリーダーの不在であり、ただいまの政治の混迷と、 日本の停滞だと言ったら言い過ぎでしょうか。 ![]() 養生から下地処理、下塗り、寒冷紗貼り中塗り、仕上げ漆と工程が進み完成しました。 その期間およそ1ヶ月、あるときはビジネスホテルに泊まり、 あるときは工房(木曽)から通っていただいた。 完成しもうすぐ1年になるが、湿度温度の変化にもビクともしないで、 変わらずに美しく輝き、まさにこの家のシンボルとなっている。 ![]() 窮屈な作業環境の中で奮闘中の先生。 ![]() 漆下塗り工程。 漆が硬化するまでこのまま養生。 下地処理の上漆塗り工程。 寒冷紗工程。 ![]() 漆の色は朱色ときめていたが、朱色と言っても色々な朱があり、 決定にはオーナーを交え、やれお椀の色だ、重箱の色だと迷った。 結局小坂先生に塗り見本をお願いし、それを見て決めることにした。 ![]()
狭く温度の高い空間で先生奮闘。
塗ってあるカシュー漆をペーパーで剥ぎ取り下地漆を塗る。 ![]() ![]() 湿度調節やホコリを嫌う漆工事においては、 現場に工房を作ることから始めなければならない。 小坂先生とご子息、それに小坂先生の弟さん(弟さんも漆工芸家)3人で、 それこそ、水も漏らさないくらい完璧な養生工事を1日掛かりで完成。 この中の温度湿度を管理して作業を始める。 この時弟さん、京都で国宝修理の現場で仕事をされていて、 養生の方法に明るかったので指導をあおいだ。 ![]() ラタン巻きに先行し、もう一つ鉄パイプの柱に漆を塗る作業があった。 この工事も問題山積で紆余曲折があった。 最初は漆もカシュー漆を、しかもごく普通の職人が塗ったものだから、 出来が良いはずもなく”何だこれは”と思わず怒鳴り散らしてしまった、 その後やはり職人を探しをはじめたものの、適当な人に出会えず。 時間ばかりがすぎていった。 そんなとき、小坂先生の個展を見る機会があり覗いてみて、 先生に恐る恐るお願いしてみたら、 以外に快く引く受けていただき、 早速に現場を見ていただく段取りにした。 Tags:#小坂先生河村さんと工程打ち合わせ中
![]() 今朝公園散歩の途中に見つけた、若い親子が乗るサイドカー。 色形とも美しい、パイプの処理は特に出色。 カナダ産。
イタリヤの建築家、ジオポンテー氏設計の椅子。
見た目は華奢ですが物凄く丈夫です。 これぞデザイン(見た目だけのみせかけではない)の本質ではないでしようか。 重量はなんと2.2kg、世界一軽い椅子。 これがなんと、1910年代にデザインされているのには驚き。 ![]() ![]() 最終のできばえは、当初イメージしたものとは違ってしまったが、 これはこれで、無骨な表情も悪くなかったと、 半分は自分に言い聞かせ納得している。 次は朱色の漆工事についてかきます。 ![]() 合理的?ベビーカー全盛の今、懐かしいラタンの乳母車を、 ショピングセンターで見かけた。 親心の優しさと、子供と親の距離が近い気がする。 それにしても絵になる。
さて継ぎ手と、下地に固定する方法等、
多少の不安も抱えながらも、ともかく施工に踏み切る。 しかし、というか案の定というか、程なくして問題が出てきた。 湿度の関係で、ラタンは緩み、水平線が保てない部分が出てくる。 河村さんに修正補修してもらうも、解決できない。 サーほんに困った。 一次はこの工法をあきらめ、断面がカマボコ状の硬木で表面を覆う案も、 検討したがやはりあきらめきれない。 何度も河村さんと協議し、網状にラタンを編む方法ならば、 何とかなるとの見通しをえて、 これで行こうということにした。![]() ラタンの種類、産地、晒したもの、晒さないもの。 河村さんから質問が出るも、私自身経験のない工事、 選択に迷い、河村さんの意見を参考に、まず基本的な考えを 伝え決定した。 まず出来れば国産材、その上化学的な処理がないもの、 出来るだけ幅の広いもの、こんな事を基本にした。 ほどなくして、河村さんがアシスタントと現場に入り、作業開始となった。 手すり工事は経験のある河村さんも、今回のように大きい対象は始めての経験。 随分悩まれたが、とにかく工事が始まった。 何よりの困難は、ラタンを一本の棒状にする継ぎ手の方法、 それを柱に固定する方法でしょうか。 ![]() ![]() 大黒柱のラタン工事を完成させていただいた、 河村慶子さんと、アシスタントの作品です。(参考までに) ![]() さてどうして職人をみつけるか。 インターネットで検索してもヒットしない。 北海道に、ラタンを扱っている業者は見つかったが、 職人の事を考えるとあまりにも遠路。 結局あきらめた。 知人などのつてを頼ってさがすも、 帯に短しなんとやら。 そんなときある事に気がついた。 そうだ工芸家なら見つかるのではないかと。 建築にこだわるあまり、その線の存在に気がつかなかった。 そこで知り合いの画廊に話をもちこんだ。 結局画廊に紹介してもらった人をかいして、 今は殆ど見かけないが、 なつかしい乳母車の製造者にコンタクトをとり、 店を訪ね主人にお願いした。 ただこんな仕事は勿論はじめてでということで すんなりと引き受けてもらえたのではなかった。 いずれにしても、やっと可能性の光が見、 えホットしたところです。
このS邸の大黒柱は、
![]() やっと実現しましたものです。それゆえ工事中もこの柱には、 いろいろと紆余曲折と思いがたくさんあった。 何よりラタン工事人を探すのに苦労をした。第一材料からして何処で売っているのやら 見当もつかないなか。 業者も建材の流通ルートをさまざま当たってくれたが、見つける事が出来ず、 やっと、ガーデン業者にそれらしいモノがあるという情報で、あまり上等とは言えないが とのかく材料は手に入ったが。 はてそれを施行する職人がいない、こんな状況の中で完成期日も迫り、何とか形を造らなければと焦った建築部長が、見よう見まねで、みずから施行してはみたものの、 当然のこと、とても納得のいくできばえではなく、完成期日の延長を施主に了解してもらい、 一から仕切りなをして、改めて職人と材料を探す事になった。
原発事故は、この国の将来をどうするのかのきっかけになれば、
高い授業料だがしかたないと思う。 個人的には、24時間営業のコンビ二や、自販機は無くても、 不便には感じないし、多少の便利さのために、 危険な原発は要らないし、私はそちらを選択します。 私の子供時代は、勿論テレビも携帯も無かったが、 さして不幸とも感じなかったし、 不便でもなかった。 それどころか、今より何倍もの思出がある。 不便より便利はいいが、 便利なことが即、人間の幸福とはならないと思う。 むしろ不便さの中に幸がある気がする。
東電はじめ、偉い人は詫びるとき、
どうして一人では出来ないのかしら。 部下もよほど暇なのか、大勢ならんでまるで、 ロボットのごとく、 えらいさんと一緒に頭を下げている光景、 面白くないですか。 多くの部下を多く並べての記者会見、 これはことによると、 俺はこんなに部下をもっている、 偉い人間だぞといいたいのかしら。 壁の花?よろしく立っているだけの部下では どんなに多くても、 ヤクには立たないのと違いますかしら。 私達零細企業は、何があっても言い訳が出来ません。 何時も真剣勝負です。 左官職人の狭土秀平さんが言っていましたが 何時もこれでいいのかと不安の連続だと。 私もまったく同じ思いだ。 何時もこれが最後の仕事と思い 真剣勝負で向き合っている。
世間は連休。
じっとしていられず、 近所の低い山で見かけた桐の花。 成長の早いこの木を、 子供の誕生とともに植え、嫁入り道具の箪笥を造ったが。 今ではそういう家も無くなった。
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